ある日の出来事。
昨日、「しなくてよい」と言われたことを、また繰り返してしまった園生の姿がありました。
職員が、「また同じことをしていたね」と声をかけると、彼は少し困ったような顔をして、ぽつりとこう言いました。
「病気だから・・・」その言葉はまるで自分を守るための盾のようでした。
彼には知的障がいがあります。けれどその一言がまるで『自分は責められるべき存在ではない』と言っているように感じました。
謝ることができない
その後、彼は職員の言葉かけを素直に受け止め、動き始めました。しかし、「ごめんなさい」の言葉は中々出てきません。
謝ることができない、というのは単にマナーの問題ではなく、心が自分の行動と向き合えていない、とそんな「内側の葛藤」の現れでもあるのです。
私たちは彼に伝え続けます。「またしてしまった時には、「ごめんなさい」と言えばいいんだよ。」それは責める事ではなく、自分を認めるための一歩として・・・。
ほんの小さなやり取りの中に、確かに感じられる「心の成長」。
支援とは、指導や指摘ではなく、彼らの「心の扉」をノックすることだと、改めて教えられた出来事でした。